ピカソ作風の移り変わりについて

幼少時から天才的な絵の才能を発揮していたピカソは非常に写実的で誰が見ても”絵が上手い”と思われる作品を製作していました。

上記作品はピカソが16歳の時に製作した作品でして間違いなく天才的な絵の上手さです。

成人してからは写実と抽象の複合したような作風になり、親友の自殺を機に「青の時代」と呼ばれる青を基調とした作品ばかりを制作するようになります。

親友の拳銃自殺による傷心は3年続き、それに合わせてピカソの「青の時代」も3年続くのですが、新たな恋人とアトリエを得たことで「バラ色の時代」へと突入し、ピカソの作品はピンクを基調としたものが中心となります。

その後、古代の彫刻やアフリカ芸術に大きな感銘を受けたピカソの作風は180度変わり、「ピカソといえばこんな絵!!!」と連想するようなピカソらしい(?)作風となります。

美しいバレリーナのオルガと出会ったことで作風は以前のような写実と抽象を複合した形に戻りますが、ピカソが45歳の時に17歳の少女マリーテレーズと出会ったことで再び抽象化された作風になります。

そして1937年に母国スペインが大規模な空爆を受けた事件を機に爆発したかのようにピカソは有名な「ゲルニカ」を製作します。

 

*今現在ゲルニカは反戦の象徴として広く使われています。
*また、ピカソが描いたハトが今では平和の象徴となっています。

 

晩年のピカソは子供が描くような作風になり、色使いも派手で天真爛漫な作品が多くなりました。

ちなみに91歳まで生きたピカソは生涯で約15万点もの作品を遺したと言われています。

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